〜旅行的調査(!?)〜
台湾編・原住民とは?
☆台湾原住民とは? みなさんは「台湾原住民」という単語を聞いたことはあるでしょうか?「高砂族」ならばどうでしょう?僕は恥ずかしながら、台湾にキダチトウガラシの調査へいく前の下調べをするまで知りませんでした・・・。しかし、いろいろな文献を読むうちに、台湾の中でも台湾原住民が利用するキダチトウガラシを調べよう!と思い立ちました。そこで軽くですが台湾原住民についてここで触れておきたいと思います。ただし、より詳しいことは「日本順益台湾原住民研究会」や「台湾ヤミ文化研究フォーラム」などを参考にしてください。 台湾には「原住民」と総称される、また自称する人々が住んでいます。漢語で「先住民」と表記すると「すでに滅んでしまった民族」という意味が生じるため、台湾では使われていません。原住民とは、漢族が中国大陸から台湾島へ本格的に移住を始める17世紀初頭以前、すでに台湾島とその周辺の島々に居住していた人々のことです。彼らが話す言語はオーストロネシア語族に属し、幾度かにわたって東南アジアの大陸部から海伝いに、あるいは大陸南部から直接台湾島へ移動してきたと考えられています。現在12のエスニックグループ(アミAmi、アタヤルAtayal、ブヌンBunun、カバランKavalan、パイワンPaiwan、ピューマPuyuma、ルカイRukai、サイシャットSaisiat、サオSao、タロコTaroko、ツオウTsou、ヤミYami)が台湾政府に認定されており,総人口は約46万人を数えます(Council
of Indigenous Peoples, 2005年11月30日現在)(図1)。
☆なぜ台湾原住民に着目したのか? なぜ台湾原住民に着目したのかを述べる前に、アジアへのトウガラシ属の伝播について触れておきます。1493年コロンブスが初めてトウガラシ属をヨーロッパへ伝えた後、インドへは1542年に、中国へは明朝末期(1640年頃)にトウガラシ属は伝わったとされています。日本へのトウガラシ属の伝播については諸説ありますが、ポルトガル人が天正11年(1542年)に伝えたという説が一番古く、文禄年間(1592〜1595)や慶長10年(1605年)に伝来したという説もあります。 以上のことから、トウガラシ属が台湾島や周辺の島々へ伝播したのも16世紀〜17世紀頃と推定できます。したがって、その時代以前から台湾島に居住していた原住民が持つトウガラシ属の情報(例えば呼称)は、トウガラシ属が台湾へ伝播した当初の情報を含んでいる可能性があり、トウガラシ属の伝播を探る上で有益であると考えられます。また、日本が台湾を統治した期間(1895-1945)に様々な日本人研究者が台湾原住民の調査をおこなっており、約100年前の原住民の情報を参考にできます。これらの理由から、台湾の人々の中でもとくに台湾原住民が利用するキダチトウガラシを調査しようと思いました。 ☆香辛料として利用される植物の呼称と分布の調査 日本統治時代の台湾原住民の資料に、原住民が香辛料としてショウガをよく利用すること、また一部のエスニックグループが山胡椒(クスノキ科Litsea spp.やLindera spp.などの果実(図2))を利用することが記載されていました。例えば、日本語のトウガラシ(唐辛子)の名称は唐(中国)から伝来したと考えて「唐の芥子」の意で名付けられましたが、実際には南蛮船が中国の港を寄港しながら伝えたことから「南蛮コショウ」とも呼ばれていました。現在でもトウガラシのことを「コショウ」と呼んでいる地域(九州や四国の一部)があります。僕の大好きな九州の「柚子こしょう」は、「胡椒」ではなくトウガラシと柚子から作ります。このように日本語のトウガラシ属のいくつかの呼称は、トウガラシ属が日本へ伝播する以前からすでに日本人が利用していた香辛料の名称(芥子やコショウ)を一部借用しています。そこで、キダチトウガラシだけではなく、他の香辛料であるショウガと山胡椒についても原住民の呼称を調べ、比較することにしました(詳しくは、研究内容の台湾・バタン諸島のキダチトウガラシを参照してください(作成中))。
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